なぜ今、接骨院の買収(M&A)が注目されているのか?
接骨院の買収は、ゼロから開業するよりも早く事業を立ち上げられる有力な選択肢です。一方で、患者カルテ・スタッフ・保険請求の履歴といった「目に見えない資産と負債」をまとめて引き継ぐため、事前の調査を怠ると想定外の損失を抱えることになります。
この記事では、接骨院の買収を検討している方に向けて、業界動向の読み方から費用相場、企業価値の算定ロジック、M&Aの手続きの流れ、デューデリジェンスで見るべき接骨院特有のチェックポイント、そして買収後の統合プロセス(PMI)までを一気通貫で整理しました。異業種から参入する方にも、既存の院を多店舗展開したい方にも、判断材料として使える具体性を意識してまとめています。
接骨院の買収とは何か——何を引き継ぐのかを正確に理解する
接骨院の買収とは、既に稼働している施術所の事業を、資産・契約・人材ごと引き継ぐ取引を指します。「物件と機械を買う」のではなく、「収益を生み続けている仕組みごと譲り受ける」と捉えるのが正確です。
引き継ぐ対象は多岐にわたります。買収検討の初期段階で、何が承継対象で何が対象外なのかを一覧化しておくと、後の交渉がぶれません。
| 区分 | 主な承継対象 | 実務上の留意点 |
|---|---|---|
| 有形資産 | 内装造作、施術ベッド、電気治療器、ウォーターベッド、レセコン、PC | リース残債の有無と契約者名義を確認 |
| 無形資産 | 患者カルテ、屋号・ロゴ、電話番号、ホームページ、SNS、口コミ資産 | 個人情報の承継には患者への配慮と手続きが必要 |
| 契約関係 | 賃貸借契約、リース契約、広告契約、業務委託契約 | 賃貸人の承諾が必要なケースが多い |
| 人材 | 柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師、受付、施術助手 | 雇用条件の維持と本人同意が前提 |
| 許認可・届出 | 施術所開設届、受領委任の取扱い、施術管理者の登録 | 開設者が変わる場合は原則として届出のやり直しが必要 |
用語を先に押さえておく
買収の実務では専門用語が飛び交います。最低限、次の5つは押さえておくと交渉がスムーズです。
- 柔道整復師:骨折・脱臼・打撲・捻挫などのケガに対し、手術や投薬を行わず手技で施術を行う国家資格者。接骨院・整骨院を開設・施術するために不可欠な資格です。
- 療養費(受領委任払い):健康保険が適用される施術について、患者が窓口で一部負担金のみを支払い、残りを施術所が保険者へ請求する仕組みです。
- デューデリジェンス(DD):買収対象の価値とリスクを適正に評価するために行う事前調査。財務・法務・労務・ビジネスの各面から実施します。
- のれん代(営業権):純資産額を上回って支払う金額の差額。患者基盤、立地、ブランド、スタッフといった無形の収益力に対する対価です。
- PMI(Post Merger Integration):M&A成立後の経営統合プロセス。理念の共有、制度統合、オペレーション統一などを指します。
なぜ今、接骨院の買収(M&A)が注目されているのか
接骨院の買収が増えている背景には、「施設は飽和しているのに、施術できる人がいない」という構造的なねじれがあります。この非対称性を理解すると、なぜ買収が新規開業より合理的な選択肢になり得るのかが見えてきます。
施設数は飽和、資格者は減少という二重構造
全国の整骨院・接骨院の施設数は5万を超え、2022年時点では約50,919施設に達しています。コンビニエンスストアの店舗数を上回る水準であり、商圏の奪い合いは激しさを増しています。
一方で、担い手は減少局面に入りました。柔道整復師の国家試験合格者数は、2020年度の約5,000人規模から、2023年度には約3,300人規模へと落ち込んでいます。養成校の定員割れや学科の募集停止も相次いでおり、この傾向が短期間で反転する材料は乏しい状況です。
つまり、新規に出店しようとしても「物件は見つかるが、施術者が採用できない」という壁に突き当たります。求人広告に数十万円を投じても応募がゼロ、という声は珍しくありません。
| 業界環境の変化 | 買収検討者への影響 |
|---|---|
| 施設数の飽和(全国5万施設超) | 新規出店の商圏確保が難しく、既存院の立地価値が相対的に上昇 |
| 柔道整復師の合格者数減少 | 採用コストが高騰。有資格者ごと引き継げる買収の価値が上昇 |
| 保険請求の審査厳格化 | 保険依存度の高い院は将来収益に不確実性。自費比率が評価を左右 |
| 経営者の高齢化・後継者不在 | 売却案件そのものは増加傾向で、買い手にとって選択肢が広がる |
| 患者の健康意識・予防志向の高まり | 自費メニューや姿勢改善・トレーニング領域との親和性が上昇 |
「人材を採るための買収」という新しい動機
従来のM&Aは「売上を買う」ことが主目的でした。しかし現在は、有資格者チームを丸ごと確保するための買収という動機が明確に増えています。
求人媒体経由で柔道整復師1名を採用するコストと、既存院の買収額を比較したとき、複数名の有資格者が在籍する院を数百万円台で取得できるなら、採用コストとして見ても合理性が出るケースがあります。しかも即戦力であり、チームとしての連携も既に出来上がっています。
保険診療から自費診療へのシフト
療養費の支給対象は、急性・亜急性の外傷性の骨折、脱臼、打撲、捻挫、挫傷に限られます。慢性的な肩こりや疲労回復のための施術は対象外です。近年は保険者による患者照会や審査が厳格化し、要件を満たさない請求に対する目は年々厳しくなっています。
この流れを受け、自費診療(姿勢矯正、産後骨盤ケア、パーソナルトレーニング、鍼灸メニューなど)の比率を高めた院ほど、収益の安定性が高いと評価されるようになりました。買収候補を比較する際は、売上規模だけでなく自費売上比率を必ず確認してください。
新規開業と買収はどちらを選ぶべきか——メリット・デメリットの比較
結論から言えば、「立ち上げ期間を短縮したい」「人材を確保したい」「金融機関から資金調達したい」という優先順位が高い場合は買収が有利で、「自分の理想の院づくりを一から実現したい」場合は新規開業が向いています。
| 比較項目 | 新規開業 | 買収(M&A) |
|---|---|---|
| 初期投資 | 物件取得・内装・機器で1,000万〜2,000万円程度が目安 | 案件により数百万円〜。内装・機器が既にある分、割安になることも |
| 黒字化までの期間 | 半年〜2年程度かかることが多い | 初月から売上が立つ。実質ゼロヶ月スタートも可能 |
| 患者基盤 | ゼロから集患。広告費が継続的に必要 | 既存患者を引き継げる(ただし離反リスクあり) |
| 人材 | 採用活動が必要。柔道整復師の確保が最大の難関 | 既存スタッフを引き継げる(ただし離職リスクあり) |
| 経営の自由度 | 高い。理念・内装・メニューをすべて自分で設計 | 制約あり。既存のやり方を尊重しながら段階的に変える必要 |
| 隠れたリスク | 想定より集患できないリスク | 簿外債務、過去の請求リスク、口コミの毀損など |
| 資金調達 | 実績がないため事業計画の説得力が問われる | 過去の決算実績を提示でき、融資審査で有利に働きやすい |
接骨院を買収するメリット
- 時間を買える:物件探し、内装工事、機器選定、届出、集患という立ち上げ工程をまとめて省略できます。
- 有資格者を確保できる:採用難の環境下で、これが最大の実利になるケースが増えています。
- 収益の予見性が高い:過去数年の実績があるため、事業計画の精度が上がり、融資審査でも評価されやすくなります。
- 立地の実証済み:その場所で実際に患者が来ている、という事実そのものが検証済みのデータです。
- 初期投資を抑えられる:中古の内装・機器を引き継ぐため、同規模を新設するより総額を抑えられる場合があります。
- 多店舗展開のスピードが上がる:ドミナント戦略(同一エリアへの集中出店)を短期間で実現できます。
接骨院を買収するデメリット・リスク
- 簿外債務:帳簿に載っていない未払い残業代、社会保険料の滞納、個人保証、リース残債などが後から判明することがあります。
- 過去の保険請求リスク:不適切な請求があった場合、買収後に返還請求や監査の対象となる可能性があります。
- 院長依存(属人性):患者が「院長個人」に付いている場合、院長の退任と同時に来院が激減します。
- スタッフの一斉離職:オーナー交代への不安や方針変更への反発から、施術者がまとまって辞めるケースは実際に起こります。
- 設備の老朽化:引き継いだ直後に高額な機器更新や内装補修が必要になることがあります。
- 口コミ・評判の負債:ネット上の低評価レビューは、オーナーが変わっても残り続けます。
- のれん代の過大支払い:一時的に良かった年度の数字を基準に評価すると、割高な買い物になります。
接骨院の買収に関するよくある質問(FAQ)
異業種からでも接骨院を買収できますか?
可能です。介護事業者やフィットネス関連企業が、既存顧客とのシナジーを見込んで接骨院を買収するケースは増えています。買い手自身が柔道整復師である必要はありません。
ただし、施術を行うには国家資格者が必要なため、有資格者の雇用継続が事実上の必須条件になります。買収検討の段階で、施術者が残留する見込みがあるかを最優先で確認してください。有資格者が全員退職した場合、施術所として営業を継続できなくなります。また、開設者変更に伴う行政手続きは所轄機関に事前確認しておきましょう。
買収資金は融資を受けられますか?
受けられる可能性は十分にあります。日本政策金融公庫の融資制度や、民間金融機関のM&A向け融資・事業承継ローンが選択肢になります。信用保証協会の保証制度を利用できる場合もあります。
審査では、買収対象院の過去の決算実績、買収後の収支計画、返済原資の妥当性、買い手の経験と自己資金比率が見られます。新規開業と違い過去の実績データを提示できるため、事業計画の説得力を出しやすいのが買収の利点です。融資の可否や条件は個別の事情によるため、早い段階で金融機関に相談し、必要書類を確認しておくことをおすすめします。
買収後、すぐに自分の好きなように経営方針を変えてよいですか?
避けるべきです。急激な変化はスタッフの離職と患者離れを同時に引き起こし、買収で得た価値そのものを毀損します。
推奨されるのは、最初の1〜3ヶ月は現状のオペレーションを維持しながら観察に徹し、スタッフとの信頼関係を築いてから段階的に変更していく進め方です。変更を行う際も、「なぜ変えるのか」を丁寧に説明し、現場の意見を取り入れる余地を残してください。特に給与体系と評価制度の変更は影響が大きいため、慎重な設計と十分な説明期間が必要です。
個人事業主が経営する接骨院でも買収できますか?
できます。個人事業の場合は株式が存在しないため、事業譲渡スキームを用います。内装・施術機器・カルテ・雇用契約・賃貸借契約・電話番号などを個別に引き継ぐ形になります。
手続きは株式譲渡より煩雑ですが、承継する資産と負債を選べるため、簿外債務を切り離せるというメリットがあります。一方で、開設届や受領委任の手続きは原則として新規に行う必要があり、従業員も一人ひとりの同意を得て再雇用する形になります。手続きの空白期間が生じないよう、スケジュールを逆算して準備してください。
療養費の不正請求リスクはどうやって見抜けばよいですか?
デューデリジェンスにおいて、専門家がカルテの記載内容とレセプトの請求内容に矛盾がないかをチェックするのが基本です。
具体的には、負傷原因が具体的に記載されているか、請求部位数が過度に多くないか、施術期間が不自然に長期化していないか、患者の署名が適切に取得されているかを確認します。加えて、保険者からの患者照会や返戻・査定の履歴にパターン化した指摘がないかも重要な手がかりです。売り手が資料開示に消極的な場合は、それ自体が警戒すべきシグナルと考えてください。契約書には、この点に関する表明保証と補償条項を必ず盛り込みましょう。
買収価格が相場より安い案件は「お得」と考えてよいですか?
安さには必ず理由があります。まずその理由を特定してください。
赤字が続いている、院長依存が極端に強い、主要スタッフが退職予定、賃貸借契約の更新が不透明、設備が全面更新時期、過去の請求に問題を抱えている——このいずれかであることが少なくありません。理由を把握した上で、自分がその課題を解決できると判断できるなら、割安な案件は再生型の投資として合理性を持ちます。逆に、解決の見通しが立たないまま「安いから」という理由だけで取得すると、買収後に追加の資金と労力を投じ続けることになります。
買収から実際に運営を引き継ぐまで、どのくらいの期間がかかりますか?
検討開始からクロージングまでは、おおむね6ヶ月〜1年が目安です。案件探索に時間がかかる場合はさらに長期化します。
最終契約からクロージング(実際の引き渡し)までは通常1ヶ月前後で、この間に行政への届出、スタッフへの説明、賃貸借契約の名義変更、患者への告知を並行して進めます。さらに、買収後のPMIには3ヶ月〜1年を見込んでおくべきです。「引き渡された日から自分の院として回り始める」わけではなく、そこからが本番だと考えて、スケジュールと体制を組んでください。
仲介会社は使うべきですか?自分で探すことはできますか?
マッチングプラットフォームを使えば買い手自身で案件を探すことも可能ですが、契約書の作成やデューデリジェンスの実施には専門知識が必要です。
特に接骨院の場合、療養費請求という業界固有のリスク領域があるため、治療院分野の実績がある仲介会社や、医療・ヘルスケア領域に明るい会計士・弁護士のサポートを受ける価値は高いといえます。手数料体系(着手金・中間金・成功報酬の有無、最低手数料額)は会社によって大きく異なるため、複数社を比較検討し、契約前に総額の見通しを確認しておきましょう。
まとめ——接骨院の買収を成功させるために
接骨院の買収は、施設数が飽和する一方で有資格者が減少しているという業界構造の中で、「時間」と「人材」を同時に確保できる有力な手段です。新規開業と比べて立ち上がりが早く、過去の実績があるため資金調達でも有利に働きやすいという実利があります。
一方で、その価値は簡単に失われます。買収の失敗は、価格交渉ではなくスタッフの離職と過去の請求リスクから生じるケースが大半です。だからこそ、押さえるべき順序は明確です。
- 買収の目的を一文で定義する——人材か、エリアか、収益モデルか。
- 数字を実力ベースに補正して評価する——役員報酬と私的経費を正常化し、自費比率とトレンドを見る。
- 接骨院特有のDDを省略しない——カルテとレセプトの突合、労務、受領委任の登録状況。
- 契約で守りを固める——表明保証、補償条項、キーマン条項、クロージング条件。
- 最初の90日は変えずに信頼を築く——制度変更はその後で十分間に合う。

